21歳から8年間にわたってインドネシア、タイ、オーストラリアなど世界中をサーフボード片手に旅をする。旅の途中で知り合った友人の父親が京都で焼き物(陶芸)を営んでいることを知り、陶芸に興味があったので、友人宅へ出向き焼き物と出会う。当時29歳の出来事であった。
それをきっかけに、焼き物は自然の流れに逆らわず、自然素材と向き合うことから波乗りに共通するものがあると感じ、本格的に焼き物にのめり込むことになる。
その後、波乗りと焼き物が出来る地を目指して八丈島に移り住む。八丈島では、裕一さんの作品づくりに大きな影響を与える蹴轆轤(けろくろ)と出会うことになる。蹴轆轤を教えてくれた先生の師匠が、種子島焼の復興に携わった中里隆先生であることを知り、先生を訪ねて種子島を訪れる。しかし種子島では焼き物を学ぶ環境が見つからず、熊本の窯元で修行することになる。熊本では、2年間にわたり焼き物の基礎を含め、弟子として様々なことを学ぶことになる。
1995年ついに種子島へ移住し、独学で種子島焼きに取り組むことになる。波乗りが出来て焼き物にも集中できる、そんな種子島に気が付けば11年目。「振り返ってみれば種子島が一番、自分に合っていた場所かな。」そんな裕一さんの焼き物への一番のこだわりはアウトライン。傍らにある土を蹴轆轤に載せて成形する。すべてがテンポ良く決まる瞬間、理想とするラインが作り出されるそうだ。「書道や絵画に通じるものがあるかな。だけどラインが上手く決まる瞬間は言葉では説明できない。」さらに裕一さん曰く良い作品が出来る瞬間がサーフィンに似ているそうだ。「土を作り蹴轆轤で成形し乾燥させ窯に入れる。その後は炎に全てをゆだねる。一連の流れが調和したとき最高の焼き物が出来上がる。そんな最高に気持ちの良い瞬間がサーフィンにも似ているかな。」焼き物もサーフィンも発展途上だと語る裕一さんの作品は、どことなくご自身の人柄と似て、やさしく心温まるものばかりだ。 |